日々は短し歩けよ死神

死神の吐息が、頭の中を包んでいる。両のこめかみに充満する、麻酔液が気化したようなぬるぅと鈍い感覚。まとわりついて離れない、いやなけだるさ。清浄だったはずの思考は、鮮明だったはずの世界は、とろんとした膜に覆われてぼやけてしまっている。思考は回らず、意欲は今にもへたり込みそうで、はっきりとしているのは終わっていく予感だけ。

だから僕は、駅に来ていた。昼食を済ませた後、頭の憑き物を振り払おうと独り言をつぶやきながら、自宅から30分ほど離れたターミナル駅まで歩いてきたのだ。予定があるわけでも、目的地が決まっているわけでもない。ただ、どこかへ行く必要がある。行ったことのない場所へ行く必要がある。

 

(このままではだめだ。もたない)

 

実家から東京に戻ってたった数日、早くも一人で過ごすことが耐えがたくなっていた。朝起きてから寝るまで、誰ともまともに会話せず過ごす生活。その先に何があるのか、僕はもう知っている。孤独と虚無のスパイラル。部屋にはずっといられない。ふと壁を見るたびに、向けた視線の矢印が全て自分に跳ね返って、一人であることを否応なく突きつけられるから。部屋で深呼吸ができない。吸って吐く着地点で部屋が無音と真空になって、ぴしんと虚無が張りつめるから。

本当は会話がしたい。でもそれはすぐに望めそうにないから、ならせめて新鮮な刺激で埋めるしかない。焼け石に水でも水をかけなきゃならぬ時がある。

 

(あれを使うか)

 

神託。リュックから取り出した小さな単語帳のような冊子。

ドロッセルマイヤーさんのさんぽ神』。

冊子の前半分から、えいやっ!とランダムに1ページを開く。冊子の後ろ半分からも同様に1ページ開く。

 

「動物の入ってる地名のところで」

×

「歴史の跡をさがしてみよう」

 

さあ、行こうか。

 

 

 

池のまわりは世界の音が全てなくなったみたいに静かで、そこにある全てが映画を見てるようにそのまま目に入る。水面と草木と、それを見てる自分。けだるさでぼんやりしていた世界は今、何の力にも干渉されず、ただ鮮明で美しい。

息を吸う。吸える。ひんやりとしたやさしい空気を、お腹がふくらむくらい思いっきり取り込む。すごく久しぶりな気がする、この深くゆったりとした感覚。ほっとする。嬉しい。ふうっと吐き出す。気持ちいい。頭のけだるさは少し和らいで、その分だけすっきりとした心地が帰ってきた。おかえり。

 

根本的な解決にはなっていない。あくまで一時しのぎにすぎない。明日もまたけだるさとの闘いになる。それでも、来てよかった。動いてよかった。その日暮らしの今日をなんとか生きたって、今思えてるから。