合いびき肉と自己紹介

「そうか、合いびき肉って合いびき肉じゃなくてもいいじゃん」。

お会計ボタンを押した直後、僕はセルフレジで思わずつぶやく。進次郎構文ではない、意味的にいえばむしろ真逆の省察だ。自分への呆れと気づけただけ進歩じゃんという救いの混じった、清々しい情けなさが湧いてくる。

なんてことはない。はじめてハンバーグを作ろうと行きつけのスーパーへ買い出しに来たのだが、レシピに書いてある材料「合いびき肉」が置いてなかった。ないならしゃーないかーと豚ひき肉を選んだ。だから馬鹿。

【合いびき肉】:「牛・豚合いびき肉(7:3)」のように種類の異なる肉を混ぜて挽いたもので、それぞれのうまみやこくを補えるのがメリットbyGoogle先生。

てことはだよ、

別に牛ひき肉と豚ひき肉のパック両方買ってあとで混ぜれば合いびき肉やん!

 

はー、なぜ思い浮かばなかったんだ僕の脳細胞。年中無休のブドウ糖泥棒。思い浮かんだうえで豚ひき肉を選んだなら全然いいよ?でも「合いびき肉という名前の商品」がないから豚ひき肉を選んだ、は違うじゃん。それ義務教育の真の敗北じゃん。だって、聖徳太子とはどんな人物か?と聞かれて「聖徳太子という名前の人物だ」って答えてるのと同じだもん。脳みそざーこざーこ。メスガキに煽られても文句言えない。「先生そんなんだから安月給であたしの家庭教師なんかしてるんだね~人生おつー」。はっなめんな、こちとら職を求めて三千里の無月給だわ。反面教師という名の人生の先生だわ泣いてもいいですか。

 

気を抜くとマニュアル棒読み頭。直したいのに直せてないのが歯がゆい、蚊に50か所刺されたくらい歯がゆい。

この前受けた演劇ワークショップの自己紹介でも、ホワイトボードに

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話してほしいこと!

・名前

・住んでいる場所

・講座をうける理由

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とあったから、「名前はkouといいます。住んでいる場所は東京の○○で、ここまで50分くらいです。講座をうけた理由は・・」と、教卓の先生につづいて教科書を音読する小学生のごとく、その通りに言った。あー趣味は伝えなくていいんだ楽でよかったー、なんて安心しきっていた。でも他の参加者の自己紹介を聞いてはっと気づく。

みんな、職業を伝えている。美大に通っていて~、在宅仕事で外に出る機会が減って~、子供の育児が落ち着いて~。「職業」という項目はよくも悪くも、初対面でその人の概観をつかむ分かりやすい材料の一つだと思う。「相手に自分の人となりを端的に知ってもらう(+α魅力的に思ってもらう)」ことが自己紹介の本質だとしたら、形式的には指示されてない項目でも、盛り込んだほうがよかったんじゃないか。少なくとも、それを思いついて言うかどうか悩むところまではいきたかった。

形式と本質。記号と意味。手段と目的。結局、初挑戦のハンバーグは焼きすぎて佃煮でも塗りたくったみたいに黒焦げになった。二重に苦い味わい、教訓にしたい。