演技に必要であろう資質を軒並み欠いた僕は、しかし嬉々としてその場に乗り込んだ。
きっと得意ではないけれど、欲しいものがあまりにもそこに詰まっていたから。
先週参加してきた、1日体験型の演劇ワークショップ。2時間のなかで簡単なゲームや台本読みを行う初心者向けの内容で、毎回定員10名近くがほぼ埋まる人気の講座だった。
・人と直接関わりたい。会話がしたい。
・自分の感情をもっと出せるようになりたい。
・他人の気持ちをもっと考えられるようになりたい。
・ただの消費ではない何かをしたい。
(全部詰まってるんだよなぁ、演劇)
そんな白馬の趣味様を前にしたら、炭素冷凍された表情筋とゆっくり魔理沙より起伏の乏しいしゃべりに定評のある僕でも、動かずにはいられない。
むしろ、僕はなぜか自信に満ちてさえいた。それは、下手なりにやれることをやるだけだという謙虚な開き直りではなく、うまくいく妄想だけを反芻してイケる気になる、骨格のないロマンチシズム。台本を一度見た後そっと両手を顔にあてて目を閉じたと思ったら、次の瞬間、まるで役が憑依してるかのごとく!菅田将暉顔負けの名演をする自分。「え、ほんとに演劇初めてなの・・!?」と感嘆しおののく講師や他の参加者たち。そんな糖分過多な妄想に明け暮れていたのだ。夢想は無双だね、ほんと。
そして、
現実は堅実だね、ほんと。
「kouくんは~、今身体の動きだけで表現してる感情をもっと内にためようか。いらいらしてるのをもっとう~んって内に秘めながらやるといいと思う」
令和の菅田将暉は・・・いなかった。この配慮と優しさのオブラートに包まれた先生からの評価はつまり、
「身振り手振りだけの表面的な演技でわざとらしいから、内面の感情を意識していこうね♪」。
・・・ふう、やれやれだぜ。まあ正直?それまでの発表者が身体の動きが少ないと思ったのをいいことに、「はいはいはい~、俺、違い見せれます」と優越と打算にまみれた頭で演技にのぞんだことをここに白状しますごめんなさい。役のいらだちを表現するため机の上であからさまに指をとんとんしてみせたり、頭も手も存分に振りながらしゃべってみたんだけど、感情を入れ忘れてたのかなアハハ。
・・・・恥っっっず!いや恥っっっず!
一番ダサいやつだわこれ。こういう風にやればリアルっぽいっしょ?が透けて見えちゃってる系のいっちゃんイタイやつだわこれ。「あーうんうん、こういうことやっちゃう子いるのよね~」って先生が心の中でほほえむ、典型的な初心者のやつだわこれ。凡庸の中の凡庸、僕の中身は開けても開けても凡庸マトリョーシカだぜちくしょうセンキュー!
あー今なら調子ぶっこいてたやつが恥辱にまみれたときの演技がめちゃくちゃ上手にできそうな気がする。それもまた虚妄。
ふぅ・・・。
でもさ、一つだけ言わせてほしい。
それでも演劇、楽しかったんだ。
相手のセリフを受けて「えっ?」と笑い混じりの吐息が自然に出たとき、「あ、本当にこの場面ならこう反応しちゃうかも」と思えた瞬間がある。
(あ、今、ここにいる)
台本を読んでるのでなく、本当に役同士として相手と対話していると思える、そんな瞬間。相手が自分の目を見てて、自分も相手の目を見ながら、互いに言葉と反応を重ねていく。漫才のボケとツッコミのような、バレーのレシーブ、トス、スパイクを一緒に積み上げるような、小気味よさと繋がってる感。それが本当に気持ちよかった。嬉しかった。(そう思えたのはほんの一瞬で、没入から外れている時間のほうが多かったけど・・・。)
現実生活での「演じる」では、面倒でも楽でも仮面をかぶる窮屈さを感じるけど、演劇だと気持ちよさのほうが大きかった。「・・・問題じゃありません」ってセリフひとつとっても、僕はそっぽを向いて口をとがらせて言ったけど、いすに深くもたれながら机を見つめて抑えるように言ってた人もいた。演じることは他者を理解しようとすること。そして「どう」演じるかには、結局自分が出る。