上映終わりのあの空気感

エンドロールが終わって照明が再び戻った直後、部屋全体にたちのぼる湯気のようなざわめき。映画館でしか味わえない、上映終了直後の空気感が好きだ。それぞれが旅を終えてなにかを共有しあうような、あの熱気が好きだ。

ふうっという吐息とともに、弛緩、感嘆、あるいは失望、たくさんの感情が室内に溶けていく。そこかしこで漏れ出す、フードや荷物を抱える音。なんとなく顔だけ見合わせて席を立つ人たちもいれば、小声で一言二言つぶやきあう人たちもいる。

誰もかれも不思議と神妙さがあって、その雰囲気を片隅に感じながら自席で余韻に浸るのが、これまた心地いい。面白い映画を見たときほど、エンドロールの間だけじゃとうてい余韻が収まりきらないものだ。否、収めたくもない。

先日、大学時代のサークルの先輩2人と数年ぶりに会って、映画館で映画を見た。評判に聞いていた通りの面白さで、だからエンドロールが終わったあとも僕はぼうっと余韻に浸っていた。隣の先輩のほうを見ることはせず、(それは意識的に見ないようにしていたのだが、)ただ黙って目の前のスクリーンと去っていく人々を視界に入れていた。まだ余韻に浸っていたい。それに、この2時間で積みあがった自分の感情をどう表現したらいいのか、あまりに大きくてまとまりきってない、考えたい。それは隣の先輩たちも同じかもしれなくて、だから軽々しく顔を見れない。見るべきでないとさえ思う。中途半端な言葉で陳腐にしたくない。だから黙る。

・・・なんてあれこれ書いたけど、鼻水垂れる程度に泣いてたから顔を見せるのが恥ずかしかったのもあるw。数年ぶりに会ったのに、反応に困らせてしまうかなと思って。こういう時ってどうしたらいいんだ。自然にしてるのがいいのかな。でも自然さってなんだ。頭で考えすぎてるのかも。

結局、先輩の顔を見ず後に続いて上映室を出たところで、「お手洗い行くなら」って話になったので「僕も行きます」と言ったのが、最初の一言だった。これが自然さか。先輩の声は抑えた静かめのトーンで、自分の声も固く低くて、トイレに行くだけの会話なのに妙に神妙だったのかなと思うと、少し滑稽だけどなんかいい。僕はまだ、まともに先輩と顔を合わせられずにいたけど。

 

 

「泣いてた?」

ふいに、だった。先輩と一緒にトイレに行く途中、それはあまりに自然で、だから自然と顔を見上げる。先輩は少しだけ笑い交じりで、でもそれはからかうような笑い方でなく、いたわるような優しさがこもっていた。言葉はさりげなくすうっと耳に入ってきて、瞬間、入浴剤がお風呂の中でじゅわあと溶けるような温かい心地になる。嬉しかった。言葉が、自然と出る。

「分かってても泣いちゃうやつじゃんて思いながら、分かってても泣きました」。

うっすら笑い交じりに、そう返していた。言ったあと後悔に襲われなかったから、これでよかったのかな。

 

てかここまで書いて改めて気付いたけど・・・めちゃくちゃ気を遣ってもらっている!。話しかけてもらってばかり。それを待っていなかったか?と問われたらうなずくしかない自分は、他人頼みでずるい。うむぅ進歩せねば。

まぁでも何はともあれ、

楽しかった~!