もし桜が存在しなかったら

今週のお題「小さい春みつけた」

 

ぱっと浮かんだのは少し前に三浦半島河津桜を見た記憶だけど、桜という存在はシンボル的すぎて“小さい”って感じはしない。全然小さくない春だ。

もし世界に桜がなかったら、自分はなにで春を感じるんだろう。

いざ考えてみると、答えがすぐに出てこない。こんなに季節の引き出し少なかったっけ。

少しして浮かんだのは、「朝起きて水で顔を洗うときの悶絶さが少しだけ和らいだ」とか、「極暖ヒートテックから通常ヒートテックに切り替えたけどなんとかなってる」とか。つまり、前よりあたたかくなったという感覚。

「春」と「晴る」なんて当て字があるように、桜を見て頭で春を感じてもそれはまだ急な感じがして、身体が暖かさを認めていく中で少しずつ、気持ちが春を形づくっていくのかな。

あ、そうだ。ほんとにここ最近だけど、極寒だった頃よりも公園でちびッ子たちを見かけるようになった気がする。こじつけぽいけど、”小さい”春ということにしよう。