2度目のレジで会えたら

会計を終えてスーパーを出た直後、僕は後悔にとらわれていた。それは、はたから見ればとるに足らないものなんだと思う。でも自分にとっては忌み嫌う悪癖が出た格好で、そういう場合どんなに小さくても、看過も軽視もできないタチだった。

「なんであそこでもう一歩踏み込めないんだ」。

歩道をすれ違うお昼時の人たちにも構わず、独り言を自分にぶつける。

 

そのスーパーにいた顔なじみの店員さんと、もう一歩だけ関係を深めたかった。端的にいえば、そういう話だ。恋愛的な意味ではないけど、すてきな人だと思っていたから。いや、救われていたからというのもあったかもしれない。

3日に1回くらいの確率でお会計のセルフレジ前にいる、年配の小柄な女性。ほほえむときの優しい目じりと気さくで柔らかい対応が印象的で、「この人は豊かな生き方をしてきたんだなあ」と訳知り顔で思っていた。顔なじみになってからは、お酒の年齢確認や会計後のかご回収のときに「こんにちは」と挨拶しあう。流し言葉じゃない、笑った目と目が交わるやりとり。心がほわっとする時間。あるときは、セルフレジで隣に家族連れ3,4人が大挙していて腕を縮めながらバーコードをスキャンをしてたら、会計後に「ごめんね、狭かったでしょう。これよかったら」と割りばしを3つ持ってきて渡してくれた。(もちろん、家族連れに指摘もしてくれてた)

接客の一環だとしても、自分の顔を認識していて声をかけてくれる。退職して人との交わりが劇的に減っていた中で、その小さなつながりは癒しで慰めだった。

 

だから、実家から1か月ぶりに東京に戻ってスーパーに行ったとき、その店員さんを見かけて嬉しく懐かしく感じた。

「こんにちは!」。自分から、いつもより口角の上がった声であいさつする。

「久しぶりねえ」

変わらない柔和な声色でそう返してくれて、なおさら嬉しくなった。だから刹那、迷う。

自分の実家に戻ってた事情を話そうか、否か。

「実家に戻ってたんですよ~」の一言でいい。そしたら「ああ、そうだったのねえ」と言ってくれるはず。不自然ではない。重すぎることもない。むしろ言うなら、今この場面だ。

 

 

(ああ、やっぱり言えばよかった。)

それは店を出た後の祭り。

“お久しぶりです”。数秒前に口から出たのは、そんな毒にも薬にもならない言葉だった。相手を戸惑わせる心配はない無害な返し。別の言葉で言い換えるなら、無難、安パイ。なんら悪くはない。状況によってはそのほうがいい場合もあるだろう。でも、あの一回くらい、踏み込んでもよかったんじゃないか。いや、踏み込みたかった。もう一歩だけ、自分を伝えたかった。今回だけの話じゃない。これまで自分を開示しないで踏み込まないで生きてきたから、誰とも真に深い関係になれなかった。だからこそ、これからは変えよう、もっと自分を開示していこう、そう思っていた矢先だったのに。べつにその店員さんと友達になるとまでは考えてない。でも、自分の生き方の方針という意味でも、エゴだろうと踏み込みたかった。踏み込むことでどうなるのか。それは踏み込まなきゃ得られない経験だから。

 

(戻ろう。戻って酒をレジに持って行って、年齢確認してもらうときに伝えよう。一方的で強引だけど、明日よりは今日のほうがましだ。後悔したくない。明日行ったときじゃ、もう久しぶりじゃない。そこで実家に戻ってたとか言っても、やはりどこか違和感がある。今日だ、今日なんだ)

 

そう思い急いで戻ったときには、もう店員さんの姿はなかった。

・・・まあ、仕方ない、人生そんなもんだ。

悔いはある。だから明日だろうと伝えるかもしれない。でも、一番ぴたっとピースがはまるタイミングは永久に失った。ああ、仕方ない、人生そんなもんだ。

商品かごに入れていた酒を元の置き場に戻して、再び店を出る。家路に向かう帰り道は、いつもより少しだけ早足だった。