料理の悪魔と契約した

料理を作るのが好きだ。手間がかかるし面倒だと思うときもあるけど、好きだ。

じゃがいもの皮をむき終えた後の、原石をカットして薄黄色の宝石を取り出したような姿。

にんじん玉ねぎを切るときの、無心でリズムに乗る手元。まな板と包丁が鳴らすたんたんたんっという音の響き。

フライパンで食材を炒めてるときの、期待せずにはいられない香り。

そしてようやく出来上がった料理を口の中に入れたとき。できたての瞬間だけのシンデレラ。芯から広がってくるようなみずみずしい温かさ。口の中でほうばりきれないほどあふれる湯気。手間はかかるけど、「ああ、やっぱりよかった自分で作って」。何度作ってもそう思えた。

あ、でも、洗い物だけは何度やっても面倒w。(食洗器ほしー)

 

最初からやりたくて始めたわけじゃない。働いていた頃はそんなエネルギーとてもないと思って、毎日ファミマ暮らし。絶対的エースのスパイシーチキン(あれうますぎ)、お気持ちばかりのミックスレタスサラダ、代打要員としてレンチンの豚汁・肉じゃが。

「外で買うより自炊のほうが安いなんて言うけど、作るのにかかる労力と時間もコストに含めたら、そこまで変わらんくね?」。そんな思いもあった。

 

日常的に作るようになったのは、退職してから。

最初は肉と野菜を炒めるだけだったけど、すぐ飽きて、料理研究家YouTubeチャンネルで作り易そうなレシピを試してみた。(コウケンテツ先生!)

そこが、ターニングポイントだったと思う。

「料理ってこのくらいの手間でこんなに美味しいもの作れるんだ」。

これならやれる、いやもっとやってみたい。いろんな料理を作ってみたい、知らない美味しさを味わってみたい。それに、誰かのレシピをなぞるだけでなく自分で考えて作ってもみたい。気付けば、スーパーで使ったことのない食材をえいやっとカゴに放り込むようになっていた。

 

手間がかかるのに作ってしまう。いやむしろ、その手間を求めている。

なぜ?

手間をかけたことで美味しく感じるから。それはもちろんある。でも、それだけじゃない。

手応え。自分は確かになにかをしているという手応え。つかんでいる感触。それが欲しかったんだ。無職になって、どれだけアニメを見放題YouTube見放題でも、与えられるだけじゃ感触がなくなったから。

自分の手でなにかをつくりたい。料理は、そこにぴたっとハマったんだと思う。食欲という必要の悪魔はちょうどいい動機になる。手を動かして、自分の身体を構成するものを自分で作るのは、たしかな手応えがあった。消極的で積極的な、生きている手応え。そのときから、作るのにかかる労力と時間は、コストで、そして意味になったんだと思う。

(あと、自分の好きなものを自分の身体にとりいれるって、自分を好きになることなのかな。お気に入りの服を着たとき、いつもよりふわっとした気持ちが身体を包んでくれるみたいに)

 

とまあ、こんな気取ったこと書いたけど、べつに毎日自炊してるわけじゃない。毎日は疲れるから、コンビニやスーパーのレトルトとあわせながらって感じ。

長くなりすぎたわ、おわるっ。そんじゃまたっ。