鋭いものを少しずつ知る

書かれている思想が本当に信念なんだなと思える小説ほど惹かれる。

芥川賞作家でもある高瀬隼子さんの小説がすきで、「感情描写・内面描写の豊かな作品はいろいろあるなかで、なぜその人の作品を読みたくなるんだろう」と考えたとき、改めてそう思った。

高瀬さんの作品は、どんだけ毒づくんだよってくらい主人公が憤り、根に持ち、ささくれだつ描写が物語の中心にあって、けどそれは余裕のある嫌味や高みからの分析ではなく真剣にむかついていて、だからちゃんと読みたくなる。

短編『いい子のあくび』で歩きスマホしてる中学生に会社員の主人公がぶつかるくだり。主人公のこんな独白がある。

「自転車と歩行者じゃ絶対に歩行者のほうが痛い。だからわたしは悪くない。痛い。痛いぶんだけ、わたしは正しい。」

「悪いことをしたら謝らないといけないけど、謝られたら許してあげないといけない」

 

高瀬さんの文章は、上手な比喩や格調高い言葉で修飾せず、人が心の中で思うときってそのくらいシンプルだよなって言葉で感情を言語化してる気がして、そこにむき出しの迫力を感じる。登場人物たちを「怖えー」と思うことも少なくない。

でも彼ら彼女らは、おかしいけど言いづらい、明らかにアウトとはいえないけどなにかおかしい、そういう簡単に言えるもんじゃないって人間関係のなかで生活していて、その割り切れなさもこらえて抱く怒りもリアルだから、胸の内で暴言浮かべてこきおろしてても、むしろそれによって感情移入してしまう。

 

自分はこれまで、あまり人と深く関わらずに生きてきた。誰かと大きな対立をして気持ちをぶつけあった経験もたぶん多くはない。でも、高瀬さんの作品を読んで改めて、人と深く関わっていくために、もっと知識としても経験としてもその感情論理や鋭さを理解したいと思っている。自分や相手の感情を考えるときのものさしとして持ちたい。(役に立つかで読んじゃってるかな?そういう意味も含めてだとしても、面白いと思っている)。